倉庫生活 9th day

今日は、なんとなく日光を浴びたくなったので、買い物ついでにサイクリングをした。この辺りの土地は子供が多い。多分、若い家族連れが引っ越してくるような住宅街が広がっているからで、学校も一通りそろっているし、スーパーや公園もあるので、本山の周りは子育てに向いた土地だと思う。

先刻、自転車を走らせていると、共同住宅の柵をガンガン蹴りながら歩いている小学生が目に入った。多分、柵がぐわんぐわんとしなるのが面白かったのだろう。そのすぐ近くでおばさんが草刈りをしていたが、その少年のことはまったく無視だ。自転車でそこを通り過ぎるまでのほんの一瞬、僕は逡巡したのち、
「何やっとる!」
とその少年を注意してから走り去った。果たして、これがいいことだったのか悪いことだったのかは分からない。しかし、僕の逡巡の中身はこうである。

柵を蹴っていた少年は、一心不乱であった。多分、柵を蹴るのが悪いことだとは少しも思っていない。見たことのないしなり方、聞いたことのない音、感覚、そういったものに対する好奇心と一種の冒険心が彼を突き動かしていたように見えこそすれ、「いたずらしてやるぜ!」などという悪意があるようには微塵も見えなかった。対する管理人のおばさんは、自分の業務にしか興味がないように見えた。自分は草を刈りさえすればよく、今ここで少年に声を掛けたところで、どうせこの少年は自分と関係ないし、ともすると何か面倒事が起きるかもしれない。触らぬ神に何とやら、であろうか。

この構図を見て、僕は現代社会の縮図そのものを見た気になった。昭和の世の中では、悪さをすれば地域の人みんなが怒ってくれたという。喧嘩をすれば通りがかりのおじさんに怒られ、宿題を出さなければ先生に殴られ、失礼なことを言えば隣のおばさんに叱られる。そこには理不尽なものもたくさん含まれていたのだろうが、そういう経験の中で子供たちは「社会からの眼差し」に気づき、健全な社会性を育んでいたはずである。しかし、今の世の中ではそうはならない。電車で騒ぐ中高生を諫める人はおらず、教師はモンスターペアレントに怯えながら生徒を接待する。柵を蹴るガキにも、誰も声を掛けてやらない。

だから、僕は彼を無視したくはなかった。無関係を装って無視することは、彼の機会を奪うことにもなる。それよりは、社会の一員として関わり合いを持ってやりたかったのである。しかし、今思えば、「何やっとる」などという婉曲的な言葉じゃない方がよかったなあとか、ちゃんと自転車を降りて声を掛ければよかったかなあとか、色々思うことはあるが、僕は元来だいぶ陰キャなので、これでもよくやった方である。今回はまあ及第点としよう。

買い物を終え、帰宅した。今日は天気がいいので、先日捌いたまぐろのヒレを干した。ヒレ酒にでもしようと取っておいたのだが、正直言ってこれがヒレ酒になるヴィジョンは全く見えない。何せ、明らかにふぐヒレの10倍以上のデカさである。しかもやたら肉厚で、太陽の熱で脂がドバドバ染み出してくる。大丈夫だろうか。

まぐヒレ

夕飯は僕が作った。石川くんにいただいた太刀魚を香草焼きにし、カレーも用意する。カレーは一番安い生協カレーを使ったが、クミンを炒めてガラムマサラを足すだけで一段上の美味しさになった。スパイス万歳。kamijoくんがほうれん草のピーナッツバター和えとジン・トニックを作ってくれたが、それらも美味かった。

太刀魚の香草焼き
カレー
ジン・トニック

その後kamijoくんと音楽の話をしていたらどんどん時間が過ぎた。危険である。そういえば、そろそろ「東山人間舎の歌」にも取り掛からねばならない。そうでなくても作りたい曲はたくさんあるのだ。

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