今日から三泊四日で東山人間舎に泊まらせてもらえることになりました。前回宿泊したときは東山人間舎の全体感のイメージに関する日記を書いたので、今回は4日間で八雲舎に住んでいる4人に焦点を当てた日記を書こうと思います。
トップバッターは、今日僕がシェアハウスに来たときに唯一家にいた袖浦君に着目することにします。
彼は石川県出身で、大学入学を機に名古屋に来たそうです。シェアハウス内の袖浦君は会話の中で唐突なボケを挟んだり、一発芸を10連発で行ったりするようなムードメーカーです。一方で議論を行うときなどは自分の意見を整理した上でしっかり意見を述べます。対外的には柔軟な部分もありながら根幹に自分の軸を持っているといった感じの印象です。
袖浦君とは今日初めて会話したわけではないのでそのような為人は知っていたのですが、今日袖浦君と会話する中で新しく発見できた魅力がありました。その前置きとしてInstagramで公開されている袖浦君の作品を紹介します。
この作品は袖浦君が普段普段描きたくなる図形?のようなものがあるらしく、そこから派生してできたそうです。右側には図形で構成された袖浦君の名前があり、左側の複雑に重なり合った図形はその他大勢の人々だそうです。その他の人を表現する図形と違い、袖浦君の名前には原色が用いられていることなどから大勢の人に揉まれながら自我を見出そうとする自分を表現しているそうです。説明を受けると納得できるような文脈が要所にあっていいなと思いました。
世界が当然のように色付けされていると感じるのは単色の世界との違いを比較できるからであって、もし生まれながらにして単色しか見ることができなかったらー例えば緑色の膜が目に張り付いていたらーそれが当たり前になるといったことを、ある学者の考えから思いつき表現したそうです(忘れたので気になる人は本人に聞いてください)。ロジックを絵に落とし込んで表現できるということですかね。
他にもロゴのデザインも行なっているそうです。ロゴは基本的には人に直感的なイメージを持ってもらうというような目的ありきで作られることが多いと思いますが、そのようなデザインもこなせるみたいですね。
直感的に解釈できるアウトプット(作品など)を、文脈や背景といったルーツ的な部分や論理的な部分などを踏まえた上で人に伝わる形まで昇華させられることが袖浦君の魅力だと思いました。もっというと、何かをハイレベルに仕上げるためにはそういった要素が必要なんだと理解していて、さらにそれらの要素をバランスよく表現できる柔軟な感覚があるといった感じです。
僕が持ち合わせていない能力だったので魅力だと純粋に感じたのですが、その部分を魅力だと感じた背景がもう一つあります。それは最近僕がリベラルアーツの考え方に興味を持っていたことです。
中世ギリシアの学問体系を原型とし構成されたリベラルアーツでは3学4科で定義されていました。その軸となる3学は文法学・論理学・修辞学で構成されています。袖浦君はその3つを柔軟に使い分けて直感的に解釈できるアウトプットできる感覚を持っているのかもしれません。上記の作品は文法学・論理学・修辞学の順でそれぞれに重きを置いていると感じたので紹介しました。
作品に限らず、きっと様々な場面で袖浦君の柔軟でかつ振り切ることもできるといった色が出ているのではないでしょうか。
生活空間は自分の内なる声と対話することが比較的多い環境だと思います。そして自分が持っている他者とは違う感覚が現れやすいとも思います。そのような環境で一元的に評価しにくいような魅力を残り3日間でも発見し日記にできたらいいなと思います。記事を読んでくれている人は「自分もこの人と似たような感覚を持ってる!」「この人の考え方は自分とは違うな」というような形で楽しんでいただけたら幸いです。