今日は袖くんのお家の方々からいただいた日本酒を飲みながら、袖くんと「信じること」について話した。
この話は、ある時に袖くんから「『これは正しい』と信じているものってあります?」というLINEがきっかけだった。
自分は「物質は、事実として真偽を判定できる」「概念は、信じるか信じないかで判定できる」という考え方だった。つまり物質については「事実かどうか」という尺度、概念については「信じられるかどうか」という尺度を持っているという関係だ。
袖くんは違っていて、まだ自分も彼の考え方を理解しきれていないけど「信じられるかどうかは確率的に(統計的に)決まる」という感じだったと思う。
その話を聞きながらも自分はやはり「信じられるかどうか」は確率的なものじゃなくて、単に概念に対して使用する道具でしかないと思っていたけど、だんだん確率かもという気がしてきた。
とくに結論が出たわけじゃないけど、対話を通して「信じること」がなんなのかがより気になってきた。
そこで自分は映画『マトリックス』を思い出した。あの話はたぶん「信じること」がテーマになっていたような気がする。主人公のネオは、「自分は救世主であると信じることに決めた」んじゃないかと自分は思っている。